人に詳しく話せない話

父の日なのでケーキを買った。家族の好みを思い起こしながら5個。毎年必ず1つ余る。父にはモンブラン。今年はモンブランが余る。父は私が高2の時死んでいる。肝炎からのガンだったはず。

 

実は病名をよく知らない。肝臓がダメになったのは分かってる。当時、本人も母もはっきりとしたことは何も言わなかった。だんだんと仕事もできないほど体調が悪くなっていって気がついたら入院していた。もしかしたらどこかのタイミングで「実はお父さんは肝臓癌で、もう長くないのよ」みたいな決定的なやりとりをしていたかもしれないけど、やはり記憶にないし、うちの母はそういう改まった話はしない人だと思う。死んでから10年くらい経とうという今はさすがに、さらりと病名を出す母だけど、結局彼女の娘はその病名を記憶できていない。

 

あなたは父の日は、お父さんの誕生日は、何かするの?みたいな話するよね。

人は私を若者とみなして両親共に健在という前提で話題を振るし、私もその前提に乗っかることにしている。過去のことを思い出し喋る。嘘は言ってない。ただの世間話なんだしそれでいい。

父の日は何かするし、誕生日も祝う。父の好物だったきのこのスパゲティと、ケーキを食べる。1人暮らしの妹は、仕事を休み、帰省してくる。

 

もう1人の妹は最近、「死んだ人の誕生日祝うっておかしくない?」と言っている。まあそうなんだろうけど、それ以上の展開はなく、やはり父の日や誕生日にはケーキを買う。5個買って、1つ余る。父の好きそうなケーキが余る。それを4つに分けて食べる。既に8つ切りしてあるそれをさらに包丁やフォークでいじるので、いくら気を付けてもぐちゃぐちゃになる。

 

普段は4人分か、1人暮らしの妹を除いた3人分を目安に食べ物を買ったり作ったりするけど、こういう時は5人分用意する。用意して余らせる。余らせるのをやめないほうがいい気がする。私たちは5人家族だったので。

 

先日、職場でボランティアの初老の女性と話した。間近に迫る父の日の話だった。お父さんに、何かプレゼントあげる?お父さんは、ご存命?

そこちゃんと確認する人、珍しいなと思った。ありがたかったし自然な流れだったのでもういないと話した。女性はごめんなさいね、と気まずそうに言いつつ、機嫌を窺うような態度はすぐやめて、早かったのね、いつ亡くなったの、と話を続けてくれた。

実は、私は父の病名だけでなく、何歳の時死んだかもはっきり答えられない。というか、普通に逆算すればいいんだろうけど、それをする気になれない。聞かれて、考えようとして、すぐ面倒くさくなってしまい、大体の数を答える。

興味がないからだろうか。覚えられないのは、奥底では、あずかり知らぬ深層心理といつやつでは、本当は、父を大事に思っていないのか?これらを即答できない遺族を、人はどう思うのだろうか。けど、どう思われようが関係ないし、別に大事にしてないわけじゃなくて、何年に死んだとか、何歳だったとか、病名とか、そんなのはめちゃくちゃどうでもいい。死んじゃったことより重要な情報なんてあるわけないし。うっすらそんなことを考えながら、女性の質問に曖昧に答えた。「父は死んでいるという前提」で話すのはとても気楽だった。みんな最初にご存命?って言ってくれればいいのにな。