恋人に梯子を外された話
彼氏としばらく距離をおくことになった。
彼は、セックスに愛情を感じないそうだ。もし感じても、たまーにこっちの仕草とかに「かわいいな」と思うくらいだそうだ。16の時に初体験をしてから約10年が経っている今、セックスは作業とも感じるらしい。
だから、セックスに意義を見出せないようだ。オナニーは好きだという。最初彼は、会う頻度が少ないから、オナニーの機会が多く、そちらに比重が置かれる、とか言っていたが、よくよく聞き返せば、会う頻度なんか関係なかった。これから会う頻度が高くなったとしても変わらない、ただの嗜好だった。
オナニーは好きだけど、セックスは別に。
してもしなくても別に。
彼はそれでいいのだろう。彼にとって大切なのは、一緒にいたり、手をつないだり、キスしたりすることで、それでいいのだと。それ以上のことはなくてもいいのだと。
でも、私のこの心はどこに行ったらいいんだろう。
私は彼に触ってもらったり、彼を受け入れたり、彼の好きなようにされている時、愛されていると感じる。彼は自分の愛情表現が足りないのか、とも問うてきた。答えられなかった。私は彼のように手をつないだり、キスしたりだけでは足りない。でもそれを言ってどうなるのだろう。彼にとって、それ以上のことは意味をあまりなさないと知ってしまったのに、それを聞いて彼はどうするつもりなのだ。あなたはそんな私に手を引いてはくれないではないか。足りないと私が言って、彼はそっか、そうなんだねとでも言うだろうか。語外に、でも仕方ないね、という沈黙を添えて。
私は愛情をもらう手段を、その梯子を外されてしまった。
彼からの愛と、求められているという、私は彼にとって必要だという、かけがえのない充足感と安定は、あとは地に落ちていくだけだ。
彼は、求めてくる私が怖いのだという。愛情を欲しがる私が怖いのだという。
最後まで出来ないと、変な空気になるから、それは嫌だから、調子のいいと思った時にする、でも調子がいいかどうかわからないから、最後までできなかった時のことを考えて、私の反応を考えて、怖いのだと。
ひどい話ではないか?彼は困らない。だって彼には必要のないことだから。なぜ私ばかり、セックスを求めることは卑しいことであるかのように、自分を抑えなくてはならないんだろう。私には彼の苦悩がわからない。彼がこのことを重要に考えていると思えない。だって彼にとって、私と離れて、セックスの恐怖から離れて、そうして過ごす時間は、安心できる時間であるからだ。そんな中で彼が、私と過ごすための方法を考えるだろうか。これでいいのではないか?私と一緒にいることは彼にとって本当に必要なのか?今はそうは思えない。
彼はわかっているんだろうか。彼がしていることは、私が、一緒にいてもいなくても平気、手をつなぐ必要性を感じないし、キスも作業的に思ってしている、そこに愛情を感じたりはしない、と投げかけているのと同じことだと、そういう自覚が本当にあるのだろうか。そんなことを絞り出すように伝えたが、彼は作業…とつぶやいた後、一言ごめんと言った。彼が私にした仕打ちについて、それがいかに相手に痛みを与えるものだったか、わかっている、そんな風には到底思えない、とりあえず口から出たというような謝罪だった。
彼が愛情を感じる手段を残して、私の手段だけなくなるのは、ひどく辛いし、悲しい。
だいたい、月に1度するくらいの頻度だったセックス、私が彼にとって必要な存在だと実感出来るその時間は、そんなに頻度が高いものではないと思う。30日のうち、1日、そのほんの30分強。それを否定されたのはとても不公平に思う。彼にセックスは楽しいのかと聞いたら、楽しいと言った。ここまで私の大切に思っていた時間を作業だの、しなくてもいいだの、淡々と告げておいて、今更どの口が言うのかと、本気で思ってしまった。率直に彼に、信じられないと伝えると、そっか、とつぶやいた。それだけ。反論もしない、それだけだ。それだけのことだったのだ。社交辞令のような、そんな「楽しい」。
別れた方がいいのだろうか。これから先、ずっとこんな思いで生活するなんて、拷問のようだ。別れたらどうなるのだろうか。彼をどうしようもなく求めてしまうこの心は、いつ死ぬのだろうか。1年か、3年か、10年か、それとも一生かかるのか、他に相手は現れるのか、その人はセックスを愛情表現と捉えてくれる人だろうか、そうだとして、その時私はきっと幸せだと思う。今のこの状態よりきっと、ずっと幸せだと思う。
今は早く死にたい。そう思う。
次もし彼を会うということになった時、私がどんな状態になっているかはわからない。
多分セックスはしない。でも、私が手をつないだりする保証もできないと感じる。
母と花火の話
今日は長良川で大きな花火大会がある。というか今まさに始まったところ。
隣の市の私の家から音だけは聞こえる。
母は花火が好きだ。理由はよく分からない。あえて聞くことでもないので、「ああいうお祭りが好きな人」なんだろうなと思っている。本人がそんなことを言っていた気がしないでもない。覚えていないけど。
実際、小さい祭りでも大きい祭りでも、祭りがある日はそわそわしている。市の春の祭りなんかの時には「今日、祭りあるよ」とかLINEで声をかけてくる。行きたいとも、行こうとも、行くの?とも言わない、ただの報告みたいなLINE。こっちとしては祭りがあるからなんなんだ。としか言いようがない。けどこれは母なりの誘いだから、なんなんだ、とか言ったりはしない。さすがにかわいそう。
誘ってくるのは、自分が行きたいのか、それとも私たち娘のことを、地元のヤンキーと中高生の同窓会みたいになる、屋台が連なって、キャラクターまみれの俗っぽいミコシで溢れるだけの田舎の祭り(きちんと由来のある祭りなんだろうけど表向きはそういうものにしか見えない)で喜ぶ子供と未だに思っているのか、その辺もよく分からないが、多分どっちもで、どっちかというと自分が行きたいんだと思う。で、私や妹は時間が合えば付き合うというか、母を急かして仕事を早く終わらせて祭りへ連れて行く役目に回る。お祭りごとが好き。でも一人で行くのはなんかちょっと。それに仕事もあるし。母の誘いは私たちへの、店を早仕舞いするきっかけを作って欲しい、っていう要請と受け取っている。彼女はそんな意識はないかもしれないが、事実「今日、祭りあるよ」のLINEに「そうなんだね」って返したら落ち込むのは目に見えている。あの人は自分で仕事を切り上げるのがとても苦手だから。仕事より遊びを優先するのを悪だと思っている節もある。ので、私たち娘は母をそそのかす悪魔役を買って出る。私たちは常日頃から彼女はもっと遊ぶべきだと思っている。全員成人して稼いでいるけどそれでも回らない家計のため、必死なのは承知の上だ。
一方で私は長良川でやる花火大会が大好きだ。初めて見たのは高校生の時。岐阜市内に住む友人に誘われて見に行った。見る前までは、ものすごく混むと聞いていたし、人混み嫌いだし、地元でも花火大会はある(母と毎年欠かさず見ている)し…。とかうだうだ思っていたけど、そんなのは、奇跡的に打ち上げのすぐ近くの河川敷を陣取って、第1発目のスターマインがどんと打ち上がるのを見た瞬間に全部ぶっ飛んだ。言葉にはできないけど、人生の年表に大きく書き記すべき感動だった。そりゃみんなこぞって場所取りして人混みも我慢して見に行くよ。と思った。で、これは母を何としてもここに連れてこなくてはと思った。でもこれがなかなか叶わなかった。地元の花火は母の店からでもよく見えるからなんの問題もなかった。地元の祭りも店から徒歩10分で行ける。でも岐阜市の花火は、岐阜市の花火は、早仕舞いが苦手な彼女にとって、とにかくかなりの難易度だった。
岐阜市の花火は2回ある。理由を知っていると苦笑いするしかないが、まあこっちとしてはオイシイし、これは全国的にも珍しいことらしい。で、2回とも規模が大きく、とにかく混む。ものすごいことになる。母が会場に行くには車しかない。電車の便がとにかく悪いのだ。でも開始時刻ちょうどになるように車で出発すれば、会場に着く前に花火の音だけ聞きながらトンボがえりすることになる。渋滞でまずたどり着けない。よって彼女はいつもより4時間近く早く店をしまうことが必須となる。この時点でハードルが高すぎて諦めてしまうのだ。誘っては断られ、誘っては断られが続いた。見たことはなくても、長良川の花火大会がどれだけ魅力的か知らない母ではない。それが悲しかった。でもついに昨年、途中からだったけど、私が初めて見たのと同じような場所で、家族でそろって見ることができた。店に手伝いに来てくれているお姉さん(70歳)が車で送ってくれて叶った。母はこの日から、来年は絶対もっと早く店を閉めて、長良川の花火大会に行く、と自分から言うようになった。
今日は長良川で行われる1回目の花火大会の日。今日は見送って、来週の2回目の花火大会に彼女は行く。絶対に行くのだ。自分から。それが本当に嬉しい。私も気合を入れて場所取りしたいと思っている。
私の次の目標は、「仕事でなかなか都合がつかない恋人と、いつか一緒に見に行くこと」になった。
人に詳しく話せない話
父の日なのでケーキを買った。家族の好みを思い起こしながら5個。
実は病名をよく知らない。肝臓がダメになったのは分かってる。当時、本人も母もはっきりとしたことは何も言わなかった。
あなたは父の日は、お父さんの誕生日は、何かするの?みたいな話するよね。
人は私を若者とみなして両親共に健在という前提で話題を振るし、私もその前提に乗っかることにしている。
父の日は何かするし、誕生日も祝う。
もう1人の妹は最近、「死んだ人の誕生日祝うっておかしくない?
普段は4人分か、1人暮らしの妹を除いた3人分を目安に食べ物を
先日、職場でボランティアの初老の女性と話した。
そこちゃんと確認する人、珍しいなと思った。ありがたかったし自然な流れだったのでもういないと話した。女性はごめんなさいね、
実は、